2007年07月13日

スワロウテイル

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観てきましたスワロウテイル

ずぅっと観たい観たい思ってたらよもやの映画館上映

スクリーンでは観てなかったので千載一遇のチャンスでした





いやーよかった

久しぶりに「いい映画を観た」って思った

やっぱり映画の詳細はところどころ忘れてて

「自分が知ってたスワロウテイル」よりもすごく良かった

歳を重ねると、もっともっと色んな見方が出来るんだなぁ

っていうか、それだけ観るモノがある作品ってすごい

そんな映画だった



岩井監督の作品の一番好きな部分

「どっち」ともとれる人間像の描写

基本的に、スワロウテイルという物語は悲しいお話には違いない

だけど、観終わった後に残る胸の痛みの心地よさと清々しさ

人が一生懸命に生きている手触りは気持ちいい

善悪でも良し悪しでもない

一生懸命である事が素敵なんだ

それが人の温かみを生み出すのならとても美しい

現実は勿論厳しくて辛くて

理不尽・不条理などは当然の様に自分の都合に関係なくやってきて

だから間違って失って

そこで、自分が大切にしたいモノに一生懸命になれるかどうか

岩井監督が、全ての作品に一貫して描き出しているものだ

間違うからこそ身近だ

理屈では推し量れない人の生き様

だから想いを乗せる

想像する

作品が創り手の手から離れる瞬間

受け手は創造するのだ

「こうなんじゃないか?」

そうして作品はその人の中に残るのだ

それは「そうあって欲しい」という願望・欲求から産まれる

その方がその人にとって気持ち良いのだ

それがその作品の「良さ」

そうして「良い映画」と評される作品は生まれていくのだと思う

受け手あってこそ表現は初めて成立する

個人的に、そうして「共有」出来るモノがある作品こそが

「良い作品」なんだと思ってる




改めて観て、とても良い映画だった

やはり、岩井監督は着眼点が素晴らしい

一見チープに見えたり奇抜さが目に付く要素が多い

それも岩井監督の作品が目立つ要素であるのは事実だ

しかし、それだけで終わらないから俺はこの人の作品が好きなんだ

岩井監督の作品が素晴らしいと思える最大の理由





岩井監督は、全ての要素の「必然」を抜群に描き出すのだ






その手法がストーリーだったり映像だったり音楽だったり

その全てに必然を感じるからこそ岩井監督は本当に凄いと思う

正しいとか映画作品として正統でないとかなんてどうでもいいだろう

どれだけ人の脳に響くか

人が間違う事に必然がある

人が一生懸命になる事に必然がある

人が温かい事に必然がある

その過程において、時に人の生き様はドラマチックになるんだ

とても映画らしい映画だと思った

岩井監督の作品は、割と受け手の受け取り方に委ねる

ある種、投げっ放しとも言える様な表現が多い中

スワロウテイルは「物語」の要素が強い、表現しきっている作品だと思う

「何故こうなのか」というのが、作品の中できちんと説明されている

岩井監督作品の中では、比較的「一般的」なのではないだろうか

こういう作品を創ろうと思えばこの人は作れるし

本来の持ち味は全く損なわれてない

キャストも豪華だし、そしてキャスティングが抜群だ

どの人もカッコいい

何も CHARA だけが目立っている訳では決してない

そして CHARA の起用は本当に素晴らしいと思う

ミュージシャンがミュージシャンの役をやる事が全然イロ物なんかじゃない

彼女の歌が胸に響く

小林武史さんの音楽がピッタリだ

架空のアーティストでアルバムが一枚成立してしまう物語性

その背景を彩る映像美

魂が空に昇り、雲に覆われた瞬間に結露して

魂は地上に降り注ぐ

魂が辿り着く地上という名の天国に「あおぞら」は広がる

今日もゴミの中から夢を探し出す

こんなに哀しいから、涙が止まらない

だけど

何が大切なのかは、空に昇る為に胸に刻まれた羽が教えてくれる

私はあいのうたで あなたを探し始める







とても心が響く作品だった

映画館で観れるなんて最高の贅沢だなぁ

この作品に出会えて本当に良かった

そして頭の片隅には

呼吸をする為のあの旋律が流れ始めてる





















♪『 Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜 』  YEN TOWN BAND
posted by TDO at 23:04| 東京 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月18日

それはとても晴れた日で

 




久しぶりに『式日』観ました





この映画は本当に大好きな作品

邦画でこの系統の中途半端な耽美エゴ作品が多い中、これは別格

キャストにもストーリーにも映像にも全てに必然を感じる作品

ともすれば在る事の必然性が無いお話なのに







ってかね

ってかね









藤 谷 文 子













萌えーーーーーーーーーーーーーー







ダメだって

こんなんあかんて





超   か わ い い







飼う!

こんな子いたら飼う!

もんすごワルい事する!







ほんで岩井俊二がまたいい感じに肩の力が抜ける優しさがあるんだよなー

赤と黒が交じり合うとあの空の色になるっつーこったね

それはきっととても晴れた日で

最後の彼女の笑顔がもうホント超ーーーーーかわいいんだよなー

そんでスカさずエンディングが Cocco 『 Raining 』

ズリぃよ!

最初観た時は泣いたなー

一生懸命に愛したい人は是非






これは本当に大好きな作品なので

機会を改めてオナレビューしてやろうと思います

思い入れ強いからなー

『リリイ・シュシュのすべて』と同じくらい時間かかるんだろなー









僕はあと何度誕生出来るのでしょうか


現実なんて!








 
posted by TDO at 16:26| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

容疑者・室井慎次

えー観て来ました
前回の交渉人・真下正義で超あがってたし
室井さんが超好きなので超勇み足で観て来ました






容疑者 室井慎次





大体からにして容疑者て、容疑者て
超ーーーーーー気になるよ
しっかり踊らされてた訳ですが
以下、オナレビュー






まず最初に、この映画は娯楽映画ではない
面白い映画でもないだろう
しかし、意味が在る映画だ


この作品を経て
柳葉敏郎が演じる『室井慎次』という男は
一つのアイデンティティとなったのだと思う
これは、警察という機関の真価を問う作品だ





ともすれば、警察は「悪」にもなり得るだろう
法に基づく「正義」の名の下に



『踊る大捜査線』という作品は、一貫して警察の「現実」を掘り起こしている



まず、悪い部分はどこなのか
犯罪者はもちろんの事、
やはり声高に叫ばれるだけあって警察にも非はあるのだ
そうしてまず問題提起をする
多少の演出を施して、警察という機関が関わっている事によって起こる問題を
露骨なまでに具体的に掘り起こしている
真実ではないかも知れない
それこそドラマチックでさえあるだろう





しかし、「可能性」の一つだ





起こり得る事なのだ
着目すべきなのはそこだと思う
警察は、常にその可能性の為に在るのだ


そして、この点において
フィクションであるこの作品は、「現実」という可能性の一つに変質する
同じ目線で「現実」を掘り起こしているのだ
想像するという事
事件を創造してしまう事によって生まれる、可能性の一つに成り得ているのだ
それを認識した上でこの作品を観るべきだろう
途端に浮き彫りになってくるハズだ
この作品が持つ、この日本という国における警察という機関への、
ひいては国民への愛情が





「防犯」という点において、意外な程に警察は無力だ
これは実はごく当然な事なのだが
人々は目の前にある困難に目を奪われがちで気が付かない
機関の性質上これはどうしようもない事なのだが
殊に自衛意識の低いこの日本という国においては
その無力さは余計に露呈する
とにもかくにも、この国の警察はそういった環境の下に成立している
その警察に、国民は何を求めるか
『室井慎次』に求められていたモノは、何だったのか





とても無骨な映画だと思う
『容疑者・室井慎次』という映画は、取っ付きづらい作品だ
自らは多くを語らない
場面の説明も少なく、トントン拍子で話が進んでいく
笑える場面も少ない
「踊る大捜査線ファン」の為にある作品でもない









なんて深い愛情なのだろうか


まるで彼そっくりだ









この作品は

その名の通り、正に室井慎次そのものなのだ







現実に、事件は起こり続けている
ある人には不条理に、ある人には必然的に
恐らく人々は分かっているのだ







事件に根本的解決など在り得ないという事を







それでも、困難は目の前にある
もし、不幸にも尊い人命が失われてしまったら?
取り返しはもうつかない
そんな事は分かり切っている
しかし、この不幸を嘆かずにはいられないのだ
そもそも事件が起きている事自体がもう「不条理」なのだ
そんな状況下において、人々は何を求めているのか









室井慎次は、頭を下げるのだ







過ちを、誠実に、愚直に、詫びる

責任を執る為に









事件が起こっている以上、「何か」が誤っているのだ
ほんの些細な弾みで
或いは恐ろしく周到に用意されて
そして誤りは過ちを呼び、悲しみは連鎖していく
そこに必要なモノが何なのか







それは、悲しみを分かち合える力だ







悲しみを共に背負う覚悟
そこから生まれる、肌と同じ暖かみを持つ真摯な心こそが
皆が求める正義なのだ


一方で、警察は法の代行者である
調整しなければならない
解決しなければならない
法を遵守しなければならない
法によって正義は敢行されるのだ
それが、皆が求める警察なのだ


当事者として、室井慎次は「過ち」を詫びる
敢行者として、室井慎次は「捜査」し続ける
調整者として、室井慎次は「心」を提示する
悲しみを共に背負う者として、彼は眉間に皺を寄せ、口を閉ざす







「警察」として

室井慎次は対応しているのだ







『室井慎次』とは、そういうモノなのだ
室井慎次がそういう男だからこそ成り立っている
彼は「責任者」なのだ



『踊る大捜査線』という作品において
彼に与えられた使命は責任を執る事
それでは一体、「責任を執る」とはどういう事なのか
その疑問を、自身の持つ影響力の大きさを以て世に投じた事が
この作品の持つ「意味」なのだと思う
この現実の世界に対して、『容疑者・室井慎次』は責任を執ろうとしている



そして、室井慎次は投げ掛け続けている


責任者の在り方を

正義の在り方を

警察の在り方を







毎回毎回、本当に深い愛情を感じる作品だ
造りの雑さ、キャスティングの必然性の無さなどが目立ち
正直あまり良い映画だとは言えないと思う
きっと観た人は一様に少し拍子抜けするだろう
それでもこれだけのモノが見出だせるのだ


注目すべきは柳葉敏郎である
彼は本当に素晴らしい役者だ
並居る豪華キャストを抑えて、圧倒的に役柄を表現している
室井慎次がここまでの存在感を放つのは彼の力に他ならない
途中、室井慎次が自身の過去のエピソードを告白する場面があるのだが
それまでは造りの荒さなどにより感情移入出来ず
正直なところ失念しながらしらけて観ていたのに
彼の訥々とした表現力に強く引き込まれ、自然と涙が出た
映画館で涙を流したのは初めてだ
役が彼を成長させ、彼が役をここまでのモノに成長させたのだろう
これは、真下正義しかり、他の役柄・演者にも言える事だ
『踊る大捜査線』は本当に素晴らしい作品だと思う


八嶋智人もすごく良かった
あの役はこの人にしか出来ない
この人もまた、圧倒的に個性の光る表現をしていた
役柄的に今後あまり出てきそうにはないが
彼が『踊る大捜査線』に絡んできたのは個人的にすごく嬉しい





まーそんな感じで
正直また観たいとは思わなかったが
一度は必ず観ておくべき映画だと思う
次はどうなるのだろうか
和久さんの処遇も提示され、本編がどうなるのかはまるで分からない
まったくもって今後もとても楽しみだ








ってかよ



翔!



アンタ!

アンタだよ!



ちゃんと喋れ!

なに言ってんのかわっかんねーよ!






以上です


はー書いた書いた





 
posted by TDO at 19:35| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

偶然にも最悪な少年

あんまりにも可笑しなテンション。
クソ面白くもない可笑しな可笑しな会話。
本気で笑顔作って、心の底から楽しそうに嘘笑い。
苦笑いはもう忘れちゃったから。
そうするしかないんだろな。
別に生い立ちとか関係ない。
「辛い境遇」とやらはどこにでも、誰にでもある。
程度もあるよ、色んな「状況」があるよ。
そんな事はどうでもいい。
そう、どうでもいいんだ。
弱みを見せると馬鹿にされる気がする。
マジメにやってもダセーし。
こんな風に、「誰か」が関わるといきなり全部くだらない。
だからせめて「普通」にしてやるんだ。
ふっつ〜に。
バカなフリして全部馬鹿にしてやるんだ。
どうにかしてボヤかして、何にも感じない様にしないと耐えれない。
ぐらい辛い、多分。それすらも曖昧。
分かってるけどね、本当は。
だからぶっ壊したいんだ、全部。
やっぱどうでもいい。
別に何でもある。
テキトーメシ食って、クソして寝て、
バイトでもして金稼いで、オンナもオトコも服もCDもトモダチも。
だからどうでもいい。
そんな頑張らなくても手に入る。
もちろん今だけ。
だから余計どうでもいい。
ただ確実に、吐き気がする。気持ち悪い、全部。
まだ僕たちコドモなんだからいいっしょ?
飛び蹴りとかね、気持ちよさそ〜。
ボーリングのピンになりたいよね。
マヨネーズぶっ掛けて。鏡割って。人刺して。
「現実感」なんてクソほどもねーから。
くだらなければくだらないほどいい。
そんな所にわっかりやすく「不幸な生い立ち」とやらがあって、
なんか何となく他の人より辛い人生送ってる様な気がしてて。
人種って?ビョーキって?セックスって?
目的はないし。
そこに目の前で人とかが死んじゃったりしたから、タマタマ、ね。
もちろん分かってるんだ、なんもない。
姉ちゃんは死んでんだから。
何も生まれない。
何も残らない。
だからいいんだ、な〜んでも出来る。
なにやったって変わんないから。
ただ一つ分かってるのはね、自分は本気でぶっ壊れてる。そんだけ。
可笑しいよね、自分が馬鹿なのも分かってるのに。





これは名作。すごいね。絶妙。
最初っからキテる。





「ぜ〜んぜん死んでない!」





この映画を一言で表しきってる。


劇中に出てくる「理不尽」は何一つ解決されない。
しかもそれが「馴染みやすい」、よく聞く話だったりしてね。
「正しいっぽい理屈」はちゃんと表現されてるしね。
このペシミズム。ホントに絶望的だね。
唯一、姉ちゃんが死んだ時に親父が
「やっぱり二人とも俺が引き取っとけば良かったかなぁ」
ってほざいた時の主人公の反応は救いがあったかな。


あ、市原隼人いいね、マジで。
「リリイ・シュシュのずべて」を知ってるとなおさらいい。
コイツは先が楽しみ。
10代にしてこの「表現力」は本当にすごい。
中島美嘉もいいね。あんま期待してなかったけどいやいやなかなか。
男と二人で歩いてて、その男は「人生」を説明してくれて、
Y字路っていう「別れ道」で分かれる間際に飛び蹴り。イエーイ!って。いいねっ。
池内博之もよかった。
この人もっとスポット当たってもいいと思うんだけどな。器用だよ、この人。
それに、ボーズがカッコいい男って本当にカッコいいよ。



構成としては、場面が淡々と移り変わっていくんだけど、
その無機質さが絶妙に合ってて。
関係ないんだよね、それぞれの都合なんて。
人生そんなモンでしょ、と。その無情観にピッタリ。
ツギハギだらけなんだけど、それらはこの映画に全部必要な訳で。だから絶妙。
最初にタロウ君が死にかけてる時点でオチは分かってたけど
やっぱこれは出だしをあー持ってくるトコがいい、ガッとくるね。



そして音楽。ユダ!イイね〜。
ベンジーさんの声がやるせな〜い気分を絶妙に膨らましてくれる。
コミカルな音楽が、露骨にワザとらしく、まるで喜劇みたいにしてくれてる。
そしてこの映画には、日本人がやるこれが俺たちのやり方!なクソラップがクソ似合う。






最悪なのは少年なのかな、周りなのかな。
まぁこれだけ「偶然」があるのなら、必然的に最悪な世界なんだろう。
最高に「最悪」な映画でした。





ま、こんなもんでしょ。



 
posted by TDO at 00:44| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月30日

「世界の中心」で愛を叫ぶ

正直あまり期待してなかったのですが、予想よりよかったです。
想像範囲内に設定が出来すぎてたり、エンディングが雑多だったり、詰め込み過ぎだったりってのは感じたのですが、僕は僕なりに見出すモノがありました。
結局「文化」ってそれに尽きると思うし。

すごく違和感を覚えたのですが、この映画で扱っている「愛」は、恋愛的な観念の「愛」とはちょっと違うのではないのでしょうか。
人間愛ですね。
だから、逆に恋愛感情が連鎖している結果になる人間関係の設定は、正直要らなかったかも。
運命系の設定って「出来すぎ」と紙一重だね。
だから「ラブストーリー」としては観れませんでした。

この映画が著しているのは「喪失」だと思う。
死ぬ人も、生きる人も、失う。
その人の立場に立って言うと、死ぬ人はもうそこまで、それはどうしようもない。
「天国は生き残ってる人間が発明した物」だそうです。すごい納得。
でも出来る事はある。
もうきっとそれに最後まで喰らいついてくしかないんだと思う。きっと結果じゃない。
結果なんてないんだろう。
結果ではない何かを築きあげられるのは、生きる人たち。

そして、生きる人たちはどうするのか。
「どうって生きてくだけ」じゃ終われないから皆苦悩する。
だってもう二度と一緒に何も出来ない。
大事な人なのに。
これが悲しい以外になんなんだろう。
生きていても死んでも、その人が大事なのは変わらない。
もう深く自分に刻み込まれている。
だからって何も変わってない訳なんてなくて。
だからもう少しその跡をなぞるんだ。
「後片付け」しか出来ないんだ。
皮膚の裏側に、脳の奥底に、痛んでいる胸の中に、大切にしまうだけ。
そこで自分を乱すのは、きっと死んだ人への侮辱なんだと思う。
だって死んだ人はもう何もする事が出来ないんだから。
「その人と関わって生きている自分」の自覚が足りないんだろう。
どうしようもない悲しい事だからこそ、その人と関わって今ある自分を、貫くしかないんじゃないのか。
その人の為ではなく、自分の為に。
それがきっとその人の為になる。
泣いてもいいと思う、止まってもいいと思う。
でもそれがその人への「思いの量」とかにはならないんだ。
「思いの量」なんて、ない。
だから、出来る事を精一杯「自分なりに」やるしかないんだ。

幸運な事なのかどうなのかさえ正直分かりませんが、僕は「大事な人が死ぬ」という経験をした事がありません。
だからもしその時がきたらどうなるかは分かりません。
だから、今自分の周りに居てくれている人たちを大切にして生きます。
深く刻んでいこうと思います。
それは重いんじゃない、手に余るんじゃない。
そうなってしまったら、それは自分が至らないだけ。
逃げても結局何も変わらない。
それどころかもっとたくさん失ってしまう。
結局俺のやり方は、エゴ以外に何物にも見えないのかも知れないけど。
でも自己愛で終わるのは余りに悲しい。
きっと何か分かち合えていたんだから。
だから、人と共に生きるという事=人を失うという事に向き合っていこうと、改めて思いました。
「失う」という事がどんなモノであるか、また少し知る事が出来ました。

あとは最後の終わり方は好きでした。
ちょっと話の収束の仕方があまりにも雑でしたが。
まぁ小説を2時間の映画で著すのはちょっと無理があるんでしょうね。
ネタバレになりますが、最後に主人公は約束を果たす為に「世界の中心」ウルルに向かいます。
幸運な事に途中で車に拾われるのですが、その車はパンクしてしまうのです。
そこで主人公は、約束の地で果たすハズだった約束を実行してしまいます。
素直に感動しました。
死んだ人の為に出来る事って何なのか、きっと答えは出たんだと思います。
世界の中心は何処に在ったのか。
昔「好きだ」と叫ぶ事しか出来なかった愛の伝え方を、そしてその時は分からなかった共に生きていく方法を、見つける事が出来たんだと思います。
他の誰に何がある訳ではないのかも知れないけど、こういう事に素直に希望を見出せる自分でありたいと思いました。
人と共に在れる事を、喜んで生きたいです。
posted by TDO at 12:38| 東京 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月27日

火で在る様に 水で在る様に

「水の女」を観ました。
UAが主演っちゅー事で話題を呼んだ作品です。
かねてより彼女にはただならぬ魅力を感じているのもあり
ミーハー根性丸出しちゃんで観たのですが




いやーなんつーか


UAは表現者だね。


絵になる人ってのは、もうそれだけで表現者だよ。
まぁ訴えかける何かを持ってる人だから絵になるんだろけど。
浅野忠信にしてもそう。
マルチな才能がある人って凄いよなぁ。
惹きつけられる。



この物語は描写がとても端的で素朴なので
UAと浅野忠信だけが持つ存在感や映像の美しさが浮き彫りになっています。
というか、この二人だけが持つ存在感と美しい映像描写がないと
この映画はここまでの作品としては成立しないのではないでしょうか。


そして「水の女」と「火の男」という、とても抽象的で透明な概念。
舞台はとある銭湯なんだけど、
この二人が交わる事によって生み出される物はそのまんまお湯であったり、
人間その物への愛であったり、
生きる事への希望であったり。

とても生活感のある、人間くさい何かなのです。
欠けてしまった部分を埋め合うかの様に。


そして二人の周りには誰かが居てくれます。

例え会話が出来なくても
1度しか会った事がなくても
血が繋がっていなくても

どんなに独りで生きていても、
何かしらドコかしらから人は繋がっていくんだなぁって改めて思いました。


それは人の弱さ故です。

そして人の強さ故なんだと思います。


未だにどっちつかずで分かりませんが。


自分と向き合えば向き合うほど、「他人」という存在がいかに在り難いモノなのか
少しづつ分かってくるんだと思います。
そうすると、自分の目の前に居る人を大切にしようとし始めます。
どんなに上手くいかなくても、精一杯やれる事をやっていくと思うんです。



描写が端的なので、人との触れ合いの描写もコンセプトに焦点を絞ったモノになっているのですが。
そうする事で

「周りに居てくれる人が見せてくれる何気ない優しさ」
「何気なく人が居てくれるという事の在り難さ」

これらの「何気なさ」の輪郭がくっきりとして、より身近に感じられます。
それらが二人の周りに在るのは
二人が一生懸命生きている事を皆が分かっているからなんじゃないかなーって思います。

周りに人が集まる人ってすべからくそうです。
強い人も弱い人もいるけれど。
そうやってお互いに持ちつ持たれつ、ね。


個人的に、そうして二人が沸かしたお湯が、
他人の「汚れ」を綺麗に洗い流せるっていう所に、とても心が暖かくなりました。
刹那的である所がまたグッとくる。
それでもそうやって、
「火」と「水」は全く対照的なモノの様に見えて繋がっていて
巡り巡って共に在るんだなぁと。
間に生まれるモノはとても心地良いモノなのだから。
暖かい。
人と接するって理屈じゃないな、やっぱり。



「水の女」と「火の男」という概念を、色んな物事に置き換えてこの物語を見てみると
さらに深い感動が得られると思います。
全てがちゃんと連鎖しています。
こういう多元的な理解が得られる作品って本当凄い。
ストーリーも描写の仕方も演者も、全てがギリギリの所で絶妙に繋がれていて、それぞれが本当になくてはならない素材なんだな、と強く感じる作品でした。




久し振りにいい作品に出会えました。
こういう心底「名作!」って思える作品に出会えると気分がいいね〜。
照れくさいのですが、何と言うか元気を与えてもらいました。
俺も頑張ろう、とか一丁前に思ってみたり。

 
posted by TDO at 07:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月21日

All about ALL ABOUT Lily Chou-Chou

「好きな映画は?」と聞かれたら、迷わず最初に答えるのが「リリイ・シュシュのすべて」です。
僕は岩井俊二監督の作品がとても好きです。
何と言うか、もう本当に感性ですね、共感します。
きっと岩井監督が見ている世界は僕とは全然違うのだろうけれど。
だからこそ、感謝したいと思います。
こういう出会いがあると、自分以外の「他者」という存在が在るという奇跡に、改めて惜しみない感動の念が湧きます。
そして後に残る感謝。

全てのモノとの出会いに、そしてこの「シンクロニシティ」に。



まず映像がとても綺麗です。
どのワンシーンを切り取っても目を惹きつける何かがあります。
例えば田園と制服の少年だったり、鉄塔と白いグライダーだったり。
「組み合わせ」がとにかく絶妙です。
着眼点がすごく豊かなんでしょうね。
表現のコンセプトと純粋な映像の美しさが組み合わさっていて、リアルな感情を訴えかけています。
それらはとても鋭く、鮮烈で鮮明です。
カメラに写っているモノ全てに意図があり、それを追求するとさらに深い理解、そして感動が得られる所がすごいです。
田園の緑が、海の青が、空の蒼が、光が、目に痛いほどに綺麗です。
僕には、それらは若さに内在する純粋さ、無垢さ、危うさ、儚さが放つ、耽美的な美しさに重なって見えて仕方がありませんでした。



そして音楽。
ご自身で担当されている位、音楽には絶大なこだわりがある様です。
この映画では、ドビュッシーへの深い敬意と愛情を示して「アラベスク」(Lily Chou-Chou)という曲をオマージュで捧げています。
もちろんドビュッシーのアラベスクも所々に使われていて、またそれが初期衝動の「美しさ」のイメージを絶妙に表現しています。
後から後から溢れ出すかの様なあの旋律は、皆さんも聞いた事があるのではないでしょうか。




苦痛、無力感、愛情、悲哀、歓喜、希望、嫌悪、友情、憤り、絶望




全ての「感情」がまるであの旋律の様に止めどなくて。
それらは、例え醜く見えたとしても、人を人たらしめる
「心」が妊娠し、産み落とすモノです。
僕はそれは何にも代え難い、美しいモノだと思います。


アラベスクはそこに在る「美」を表現するかの様に、優しくて綺麗な音たちで構築されている様に思えます。
絶え難い程に悲しいのだけれど、とても穏やかで優しい気持ちにさせてくれます。



そして僕が注目したのが、【Lily Chou-Chou】という歌姫の存在です。
映画の中の架空の存在なのですが、salyuという実在のア−ティストが演じていて、Lily Chou-Chouの名義で「呼吸」という作品が出ています。
が、ネタバレになりますが、劇中にLily Chou-Chouは一度も登場しません。
ここが肝だと思うんです。
劇中に出てくるLily Chou-ChouのHP「lilyholic」が現実の世界にもちゃんとあるのに、当の本人はどこにも姿を現さない。
でも実際にCDは出てて、ジャケには写ってて。
こうする事によって、映画を観てる人は否が応にもLily Chou-Chouという存在に関心がいく訳です。

この「仕掛け」はものすごいですね。
単純に「実在するの?」という風に惑わされる事で関心を惹きつけますし、存在を不透明にする事で神秘性を生み出し、その不透明な存在の「公式HP」を現実と劇中の両方に用意する事で、劇中でのみ存在するハズのカリスマ性が現実味を帯びてくる訳です。
これによって観ている人はより一層の自己投影を得ます。
「何がどうなってるのか分からない」
Lily Chou-Chouというキャラクターが十二分に生きています。
でも出てこない、みたいなね。にくい。



そして僕の好きなアーティストにも挙げていますが、この「呼吸」という作品は超名盤。
映画を知らなくても買いです。
もちろん映画にリンクした作品なので随所に曲が使われていますが、この音楽だけを切り取ってもしっかりとした一つの世界観が構築されています。
若さが生み出す絶望の耽美的な美しさを、綺麗なギターリフ、ストリングス、ピアノが構築し、それをsalyuが優しく退廃的に歌い上げています。
この子の声サイコー。
そう、退廃的なんだよね。
いつか無くなってしまうモノって分かってるツモリだから余計胸にくる。
だからこそ「耽美」は存在するんだけれど。
その「耽美」の危うさが放つ妖艶さにこそ「エロティック」は在るんだと思います。
曲名や歌詞も、世界観が膨らむ様なキーワードとも言うべきモノになっていて、さらに深い感動を与えてくれます。
前述のアラベスクのオマージュ作品もこのアルバムに入っています。僕はコレが一番好き。
このsalyuというアーティストは小林武史プロデュースの元に現在も活躍中なので、ぜひチェックしてみて下さい。
近々1stアルバム「landmark」をリリース。



そしてやはりストーリーです。
個人的に初期衝動を描いた作品が好きというのもありますが、何が重要かというと「現実感」です。



「リアル」で在るという事。



この物語では、全編を通して「痛み」を表現しています。
いじめを客観的に見る事での、弱者への自己投影から感じる、恐怖による緊迫感のある痛み。
幼さ故に少年少女が絶望に向かうという破滅感の、鋭く尖ったやりきれない痛み。
絶望によって、若さが持つ「純粋さ」が捻じ曲げられていく事の、心の中に重く蔓延する痛み。

初期衝動は、何の思想も打算もない、純粋な欲求です。
それは「自己」と言い換えても過言ではないと思います。
よって純粋であればある程、無防備なモノであると思うんです。
それ故に、それらの「痛み」は、初期衝動を外界へ放出し、「他人」という媒介を通って跳ね返ったモノが衝突した時に生まれるモノなんだろうなぁって。
この原始的である事の耽美的な美しさが、「痛み」を伴わせる事によって「リアルさ」を持って訴えかけてくるのです。



とても暖かい物語だと思いました。



「初期衝動」という、人が人たる所以である「意思」を尊重していて、それでは通用しない「現実」を訴えかける事で、希望へのきっかけをもたらそうとしている様に見えて仕方がなかった。
優しくて綺麗な音楽が、それを物語っていると思います。
映画を見終わった後に速攻で岩井監督のインタヴューとかをチェックしてみると、僕が「こういう意図があるんだろうな」と思った事がほぼ一致していたり。
この映画は一生好きです。


初期衝動は誰でも持っているモノです。
歳を重ねるごとにそれを抑える術が増えていくというだけ。
さらに言い換えるなら「本能」ですね。
それを描くという事は、表現の手法は多々あっても、それを尊重しているという事なんだと思う。
絶望する事、感賞に浸る事なら誰にでも出来るけど、それでも現実は続いていくし、そのままじゃ何も変わらない訳で。


そして人は、初期衝動だけでは成立し得ない。

何を勘違いしてるのか、手を加えない事が「尊重」だと、「純粋」であると思っている人がいる様だけど、それは断じて違う。
初期衝動にしろ、初めにあるモノを踏まえて共に成長していかなくて、生きている事に何の意味があるというのだろう。
そして「意味」を求めないヤツは馬鹿だ。
意味を求めるだけじゃダメな事なんて誰だって分かってる。

そこから自分の「現実」に何をもたらす事が出来るかなんだ。


そこで耐えられずに死ぬヤツはその程度のヤツだし。
この作品のHPの掲示板とかで、この世界観に酔ってる様なバカタレどももいるけど、岩井監督が提示している事は間違いなく違う。
そんな一人称の独りよがりで創り上げられたものではない。





これは「希望」の映画です。





「世界」を創りあげるという事の尊さ。


「創作」という初期衝動によってこの様な作品が成立している事に、僕は本当に深い感動を覚えました。
そして惜しみない感謝の気持ちがあります。
だから僕はこの作品が大好きです。
「人」を強く痛感させてくれます。
僕は何にもない思春期を送っちゃったなぁ。


それでも




この作品と出逢えた事を心から嬉しく思える自分が今在る事を、歓ぼうと思います。


そんな作品です。




皆一度観てみてね。
 
posted by TDO at 11:12| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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